常識論・・・常識ある、常識はずれとかとか

常識論でたまに社内がざわつくことがあって……。
そもそも常識が何かってことを悶々と考えていて、とりあえずまとまった結論の話。

常識ってのは価値観とか倫理観とか規則とかそういうもので、複数人集まった(組織化された)場合には、基本的には組織の多数決で決められていく。

至極当たり前な話だろって思うのだけど、揉めているときに限って、この観点が抜け落ちていることが多い。

常識が育まれる工程?

個人の常識は、まず生まれ育った家庭環境によって創られる。家族も増えたり減ったり、時には変わったりもするので、その都度家庭の常識も変化する。
同じ一族でも親戚間では家庭が異なるので、ここもまた変わる。

次に家を出ると、地域コミュニティ(町内会とか自治体とか)があり、そこにもまた地域の常識がある。例えば、ゴミ出しのルールがマンションとか町内会、自治体毎に違っている。あるものが燃えるゴミだという常識が別の自治体に引っ越した途端燃えないゴミになって非常識扱いされてしまうのもそんなあたり(実際、名古屋市と市外で違っていて驚いた)。

同様に学校や企業などコミュニティが変われば常識だって変わる。
同じコミュニティでも、構成員(内部環境)や外部環境の変化でも常識は変わる。学校のトンデモ校則批判が良い例。

常識を変える一歩???

組織での常識(時に文化ともいう)は、変えるか受け容れるか基本的には無く、どちらもイヤならばコミュニティを去るしかない。

権力無く、相手や既存の常識を否定して、自己の常識をゴリ押しする行為は常識を変えるとは言わず、ただの身勝手とか言われるやつ。

常識を変えたいならば、変えることの得を説き(説得)、得を納めてもらう(納得)ことで、多数派工作するとか、権力者に認めてもらうといった、政治活動が必要となる。こういうのが非効率で無意味だとか言う意見もあるが、それは権力があればどうぞって話。

不振企業を再生させるために買収した社長が乗り込んでいって大ナタ振って常識をガラガラポンするなんてのが、テレビ番組に取り上げられるけど、それは資本主義の正当な権力行使。まぁ、労働者には労働基準法等々のバリアがあるのだけど。

テレフォン人生相談でのパーソナリティ、加藤諦三氏の名言の冒頭、

変えられることは変える努力をしましょう。変えられないことはそのまま受け入れましょう。……

日々起こる物事、この言葉に尽きるなぁとよく思う。
相手先組織にイノベーションを起こすような製品を創り、提供することを生業にしていると、自分の製品で相手の常識を変えることが仕事の基本になるので、常識とか固定概念との闘いになる。
一方で、自分自身も既存の価値観や常識の中にいることが心地よく楽なので、それを壊されることには抵抗もある。ただ、それでは自分の存在意義にもかかわるので、自ら壊す努力もしなければならない。なかなかこれが難しく、シンドイ話なので。。。

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